『CLANNAD』とKeyの行方
『Key』は私がレビューを書くには荷が重過ぎるシナリオが多く、『CLANNAD』のシナリオ考察はこの際しないことにしました。個々人の胸の内に秘めておくのも悪くはありません。・・・そう思ってのことです。
歩は金に 成れるが金は 歩になれず まさか忘れたとは言わせない。 『AIR』まで、Keyがエロゲーらしからぬエロゲーを製作してきたことを。 そして、奇跡と感動とが必ず随伴していたことを。 『Kanon』や『AIR』における‘いたる絵’の18禁らしからぬ画風や感動に幅寄せしたシナリオは、今でもそれを象徴的づけている。 膨大なシナリオを考察しても、複数のライターがいるのだからそれには限度がある。 感じたものが家族愛ならそれでいいじゃないか。 青春ならそれでいいじゃないか。 人と人との繋がりならそれでいいじゃないか。 見る人の感性によって演出や内容への満足度は変わる。 この作品の何がいいとか悪いとか、それだけが作品の全てではない。 数年経った今だからこそ、ひとつの指針を見出せると思う。 発表当初は、当然18禁で来るものと思っていた。 ところが、まさかの急転直下。坂から転がり落ちるように、対象年齢を下げた。 非18禁路線への転換は、いい意味でも悪い意味でも寝耳に水だった。 思い切った決断だったが、今考えると妥当な判断だったのかもしれない。 非18禁になったことで、Keyの長短がはっきりとした。 昔から定評があったサウンドは、業界でも相変わらずトップクラス。この評価は変わらない。 感動と奇跡の調和、あるいはあざとらしさ。これはやや緩和されたように見える。だが、大差はない。 大きな違いは何か。 それは、やはり‘18禁の意味’に直結しよう。 『CLANNAD』で濡れ場がなかったことに対して賛否両論あったにせよ、 『AIR』や『Kanon』と比較すると随分と敷居が低くなり、物語がクリアになった。 非18禁特有の描写しない濡れ場を代用することで、脱18禁への活路は拓けたと見てよい。 いまや、非18禁ブランドとしての認識のが定着しつつある昨今、この作品は成功したと考えてよい。 進め進め、非18禁の道。 歩はいったんひっくり返ると‘と金’になる。 しかし、‘成と’を再びひっくり返すことは出来ない。あとは、敵陣で活躍するのみだ。 同様に、Keyもひとたび非18禁路線に向いたからには、何か奇跡が起きない限り、ひっくり返ることはなかろう。あとは、ギャルゲ工房として名を轟かせるのみだ。 なんのことはない、『CLANNAD』は、ギャルゲ化つまり脱18禁への狼煙の役目を担っていた。 しかし、発売から数年経った今、不思議と「これでよかった。」と安穏とした気持ちになる。 現段階で非18禁と発表されている次作『リトル・バスターズ』が18禁ならば、それはそれで末恐ろしい。 Keyというブランドが考えていることが全く分からなくなるからだ。 ユーザーの一人としては、このまま進んでいってほしいと思う。 一度振った旗色を変えないこと。今は、それがベストだろう。