テラ豚丼騒動から考えた徳育の低下

 一連のテラ豚丼騒動がここまで発展するとは思いませんでした。常識で考えてやっちゃいけない範囲でしょうに、全くなんとも情けない。本人は忸怩たる思いで過ごしていることでしょう。今はただ猛省を促したい。



まとめサイト・・・日々是餃子


上の記事にもありますが、もっと質の悪い冗談がMixi内で流れたようで、それについても活発な情報交換が行われたようです。(以下、切り取って引用)

>テラ豚丼〜
>2007年12月05日02:13
>おもしろすぎでしょ
>バイトしてればそんなことやっちゃうよねー
>ケン〇ッキーでゴキブリ揚げてたムービー撮ればよかった
>吉野家でバイトしてるひと、つぎわテラカレー作って動画載せてみて(^ω^) (以下略)

>ってかね、ゴキブリって油で揚げてもなかなか死なないんだよー
>死んだかと思って出すと動きだすからね
>衣つけて圧力かけて揚げたら死んだけど
>実験協力:ケン〇ッキー


この珍聞に対しテラ豚丼に対抗して、ケン○ッキーゴキブリ揚げのゆとり登場まとめ@wiki「KFCでゴキブリ揚げてた」 「冗談」でも親や高校が謝罪ニコニコ動画(RC2)‐【テラ豚丼に対抗して】ごきごきにしてあげる♪【ゴキブリ揚げてみた】などの記事、動画が上がっており、もはや冗談だったとしても初期消火には完全に失敗している感が強い。





 以下、それを踏まえての本題です。


 さて、このところよく目にする‘ゆとり’という文字が、騒動に対する記事にも多数見られました。以前は私も、ゆとり教育推進派が言うところの、「学習者の多様な能力を伸張させることを目指す」ことに納得をしていましたが、この一連の事件を受けて、あながち‘ゆとり’を嘲る表現も間違っていない、と感じた次第です。ゆとり教育の1つの象徴とも言うべき「総合的な学習の時間」が取り入れられたのは平成10年のことで、その方針は

1 豊かな人間性や社会性,国際社会に生きる日本人としての自覚を育成すること。
2 自ら学び,考える力を育成すること。
3 ゆとりのある教育活動を展開する中で,基礎・基本の確実な定着を図り,個性を生かす教育を充実すること。
4 各学校が創意工夫を生かし特色ある教育,特色ある学校づくりを進めること。*1

という4つの綱要を中核としていました。改訂の趣旨にあるような、自ら学び、自ら考える力を育成するために、改訂が行われたわけであります。この改訂によって、それまで必修だったクラブ活動すら文章の削除を余儀なくされ、必修外となってしまいました。しかし、その‘ゆとり教育’とやらが導入されてから早や9年が経ち、教育が良い方向へ展開しているかというと、あながちそうでもないように思います。
 現に日本の教育は先日公開された06年度学習到達度調査(PISA)でも軒並み低い数値を弾き出しており、今や暗礁に乗り上げているような状態です。これは前回の調査(03年度)より悪く、00年から継続して下降線を辿っていることを考えれば、学力の低下はゆとり教育こそが悪因となっていると言わざるを得ません。*2
 毎日紙は5日付で特集を組んでこのことを取り上げ、その中で戸瀬信之氏が、問題は『今の指導要領にある。』と指摘しております。また、「道徳教育は、学校の教育活動全体を通じて行うもの」と学習指導要領で定義されていますが、授業時数の減少に伴って徳育が伸長したかと言いますと、今回のような連類の輩を見ても、低いレベルに留まっているとしか思えないのであります。
 平成20年には授業時数の増加が導入される予定で、そのための改革が着々と進んでいます。そんな最中において発生した今回の軽率な事件は、まさに徳育の不足、常識の欠如を象徴しているのではないでしょうか。ゆとり教育は生徒により深く、かつより幅のある学習をさせようという意図の下で徹底されたわけですが、皮肉にも思い描いていた結果とは相反するものとなってしまったようです。この改訂はごく最近の話ですが、それ以前にこんな低俗なニュースになるようなことを、平気で履行する人間などいませんでしたから。常識は一体どこに旅立ったのでしょう。平成20年の改訂が改訂前に比べてより良いものとなっているよう心から願うとともに、二度とこのような椿事が起こらないことを祈ります。

*1:『高等学校指導要領解説 特別活動編』より

*2:もっとも、「結果を求める人が増えたから悪く思えるだけ」と言われたらそれまでですが。