『カタハネ』レビュー【弐】

 グリム童話イソップ物語なら、まだ子供に聞かせられるだけ可愛げがある。“クロハネ”に端を発したこの物語の主人公は誰か。・・・・・・それはココでもアイン・ロンベルクでもクリスティナ姫でもない――歴史そのものなのだ。


・・・当初、一言感想ではこう書こうと思っていた。私の中で、この作品は誰が主人公とかは決めることが出来ない「群像劇」の形態を取っている、と決め付けていた。そして、それを熟成させるかのように“歴史”という蓋をした結果、耽美さのみを追求することに成功したと考えたのである。
 しかし、実際はどうだろう?・・・この書き方では、クロハネとシロハネという二部構成の説明がつかず、かなり曲解しているのではないかと自分でも感じ、相当に悩むこととなった。


物語はココからはじまる。

この短い文の持つ意味が重くのしかかる。この作品は、雑念を取り払った純然たる御伽噺のはずである。なのに、なにか蟠りが残る。今までの作品とは何か異質なものを感じる・・・。高い耽美性を感じたのは間違いなく、何かが喉に引っかかっているのだ。クロハネを間奏として挿入した意味(シロハネを二分した意味)、歌詞の真の意味、・・・・・・・・・・考えればキリがない。

 何がこの作品を“良作”だと思わせるのか。自分でも把握していない今の状況では、支離滅裂なレビューを露出させてしまうことになるだろう。東方紅魔郷のような整合性のないレビューはもう書きたくない。沸騰した頭をいま一度冷やすべき時なのだろうか。



・・・やっぱり遅筆ですね。深く考えすぎなのかな?