「ロリが好きだと叫びたい」はある人々の代弁者

 「ロリが好きだと叫びたい」ニコニコ動画

元祖→http://www.nicovideo.jp/watch/sm991969


 近頃、このタイトルをよく目にし耳にする。もう視聴なさった方はご存知かと思うが、「SLAM DUNK」で使用された「君が好きだと叫びたい」の替え歌だ。


ちょっと歌詞を拝借して。↓

生命の輝きを キーボードで検索
キーワードは いつものように幼女
ロリに夢中なことに 理由なんて無いのに
その妄想は 叶うことはない

いつのまにか瞳 奪われて始まった
治らない 治せないロリコンだよ

ロリが好きだと叫びたい 覚悟を決めてみよう
冷ややかな視線を 受けたとしても
ロリが好きだと叫びたい 勇気でカミングアウト
この熱い想いを 受け止めてほしい

 

ざわめいた報道に 行き過ぎた規制の
被害者は 僕らのような少数派 
愛してるからこそ 傷つけないよ絶対
その規制に 歯止めをかけよう

いつになれば変わる このもどかしい条例
声かけたい 会話したい でもできない

ロリが好きだと叫びたい 何かスキルがあれば
表現の自由を 行使できるけど
ロリが好きだと叫びたい でも立場なくなる
見つめるだけの日々くらい認めて欲しい 
せめてそれだけでも 


ロリが好きだと叫びたい たとえそれも無理でも
本当の自分に 嘘はつけない
ロリが好きだと叫びたい 犯罪はしないから
この熱い想いは いつもこの胸に
永久に萌え続ける


 曲の上手下手はともかく、随分と説得力があるように思える。私の経験上、大々的に「俺はロリコンだ!」なんてことを現実空間で公開している人間は極少数だ。しかしながら、「ロリが好きだと叫びたい。たとえそれも無理でも」ロリコンであることを自認する人間はかなりの数に上る。ロリコンが忌み嫌われるのは、それらの人々が孤独な個体であって、およそ大衆的でないからに他ならない。そして、この事は以下の一文に集約されると思う。

露出趣味の語りは、社会からの承認を待っている。「おまえもロリコンかもしれないけれど、おれもそうだよ、大丈夫だよ」と言われるのをまっている。     Texted by Hiroki Azuma 『永遠の現在』より


 そして、以下の記事「何見てんだよ!ロリコン」をも鑑みるならば、ロリコンというのは、必ずしも忌避されるべき存在ではないのかもしれない。‘統計的にマジョリティはロリコン’なのかどうかは、サンプルがないのでなんとも言えない。ただ、これらの記事・文章・歌詞に対し、反論すらできない自分がいる…。

 私が思うに、ロリコンというのは閾値*1が非常に高い人々が多いのだ。今更ながら思う。―――彼らの多くは、やはり倫理社会の中に自分を閉じ込めているのかもしれない、と。



愚痴とか………少なくとも真面目に書く内容じゃないのかも。ネタに苦しんでたということでお許しを(笑)。

*1:科学において、ある刺激を与えた時に目的の反応が起こる限界値