「シンシア 〜Sincerely to You〜」評・弐

 やっと書き終わった!一ヶ月ぶりくらいでしょうか…、久しぶりに長文レビューなんかを投稿してみました。タイトルどおり「シンシア 〜Sincerely to You〜」でございます。(→レビューページ

 まあ、埋もれている作品に分類してもいいかもしれませんね。3年前のゲームですが、まだまだ通用する作品です。内容についてはレビューのほうで触れていますが、後半がやや失速気味でした。うまくバッドエンドとトゥルーエンドが機能していないんですね。必ず一度はバッドエンドを見る必要がありますが、その意図がよく分かりませんでした。



 それにしても



まきいづみさんやべえ…


いや、狼少女をよく表現できていると思いました。ただ、人間の自我を取り戻したシンシアのほうが、なんか可愛くなかったのは気のせい……じゃないですね(汗)。わふー。あとは堅いレビューのほうに色々書いてますので、そちらを参照していただければありがたいです。二度も同じことを書いても仕方ないですしね。

 


 最近、レビューや感想を書いてて思うのが、感想は“名前をつけて保存することも上書き保存をすることも出来る作業”、かたやレビューは“上書き保存しかできない作業”だということですね。
 感想は、その時々の心の動きなどの内的な要因や、自身が置かれた状況のような外的な要因によってすぐブレてしまい、一過性のものとなりがちです。「よかった」と心から思える作品でも、受け取り方はプレイヤーによって微妙に違い、しかも元の場所に留まらない。時間が経つにつれて内外から影響を受けやすくなるので、その作りは非常に簡素なものとなってしまいます。*1そのぶん、真意が相手に伝わりやすい利点があるのかな。
 これに対し、レビューはゲーム史的、あるいはライター的、ブランド的位置づけをも考えてしまうため、「よかった、悪かった」の一言で片付ける事が出来ない。つまり、ある程度固定化した感想の類がレビューのようなものだ、と私は考えています。どちらが読み手にとっていいのかは抜きにして。


 たとえば、焼きあがったクッキーをレビューとするならば、それは美味くも不味くも噛み砕く事ができる。そして読み手は、その批評に対し注文・賛成反対などなど、あらゆる角度から分析するわけです。ただ、逆に言えば余りに固まりすぎているがゆえに、書き手側から積極的に直しづらいんですよね。そのため、どうしても執筆が慎重にならざるを得ない。なんだかレビューの出し渋りみたいで申し訳ないんですが、堅いレビューに関しては、なるべく書き直しを避けたいなあ、と思って書いてます。
 ところが、感想というのはクッキーのタネのようなものです。咀嚼しようにも柔らかすぎて咀嚼する事が出来ない。そもそも、どういう経緯の評価なのかが漠然としすぎて、読み手からの判別が難しい。感想というのは真意だけは伝わるんですが、どうも噛み応えがないのです。その代わり、その都度味を変えられますし、手直しだってできます。現在と5年後じゃ、違うゲームに思える作品も少なからず存在するはずです。感想なんて、そのときに口から出た思いつきみたいなものですね。

 まあ、この二つを少しでも分けて書けないかなあ、なんて考えてたり考えてなかったり…。今はまだ、感覚的な違いしか掴めておりませんが。



 さて。このところ色々とドタバタしてまして、実は肉体的に参っております。冬コミも近いんで精神だけで乗り切れるかが不安ですが…。24日にも身内の引越しを手伝わねばならず、今年はクリスマスも出払ってそうな予感です。せめて、日曜はゆっくり休みたいと思います。ではまた後日ということで。

*1:自分の主張が単純化するような?レビューにしたら複雑なんでしょうけど、感想で言いたい事は、だいたい一つか二つに絞れるような気がするんです。私の『_summer』の感想とかみたいに。