Narcissu評‐其の弐−誰が為の物語

 エロゲの潮流を踏まえつつ「Narcissu」という作品がどういう意味を持つのか、ということに関しては、先日大まかに書いたとおりである。今回は、もっと立ち入った作品の構成というものに触れてみたい。


 ノベル(ここでは、サウンドノベルとヴィジュアルノベルとに区別しない)というアドベンチャーゲームの一角が、18禁ゲームの主流となった経緯については、前のチャプターでひととおり書き連ねた。これは今でこそ言えることだが、本来の18禁ゲームの用途から考えて、物語というパーツをエロに埋め込む事は、さほど難儀ではなかっただろう。女の子に限らずとも、登場人物に様々な情報を持たせた上でひとつの物語を構築すれば、物語の出来に上下こそあれ、プレイヤーは性描写への没入度を高めることができたからである。


 このことは、元より分かりきった話だったが、事実は当初から頑ななまでの蓋然性を保持しており、その潮流は日に日に強靭かつ流動的なものへと変容していった。エロゲの河にノベルという水を流してみると、その流水は思いのほか多方面に流れていったのである。それが、たとえば泣きゲーだったり、バカゲーだったり、鬱ゲーだったりするわけだ。身も蓋もない言い方をすれば、泣きゲーではヒロインたちに同情票が集まるような物語展開に注力すれば、また、バカゲーでは人がどうやれば面白おかしくプレイできるかということのみを重視すれば、ある程度の手応えを得る事ができたのである。もちろんライターの文章力やセンスはそれなりに要求されたが、少なくともテキストがなかった時代のそれとは、比べ物にならないほど有意義なゲーム内容になっていった。物語がどういう色を帯びているかによって、注視すべきところは作り手側も容易に認識できたし、また、プレイヤーもそこに焦点をあわせてさえいれば、自然と感情が揺さぶられるようになっていたわけである。


 けれども、この「Narcissu」という作品はそうもいかない。その最大の特徴は、視野の広さ、ひいては特殊な視野にある。1stでは限りなく情報が限られており、様々な見解が世々を飛び交った。ここまでは何も驚くことではなく、18禁に限らず、分割作品ではよく見られる光景かもしれない。しかしそれゆえに、2ndで明かされた背景に多くのプレイヤーは唸らざるを得なかったのである。従来の作品では、一緒くたになって初めて物語として評価されるものが大多数で、実際過去に出た分割作品の殆どがその轍を辿った。ところが、この「Narcissu」という作品は、1stにおけるプレイヤーの解釈が2ndにそのまま符合しないという面白い矛盾を孕んでいた。つまり、プレイヤーの解釈自体が、1stと2ndを一連のものとして考えた場合と1stと2ndをそれぞれ考えた場合、という対照的な解釈を生んだわけである。これについては、Plutinon氏が指摘しているとおり*1である。


 さて、もう一度昔日の作品群と相互に考えたい。旧作は、広い視野から徐々に、あるいは急に視野が狭まり、それに従って注視点も明確になっていくというのが本筋のはずであった。というのは、物語に明確な連続性を持たせやすいし、何よりも‘18禁’というジャンルの最終目標であるはずの情事に結びつけやすかったからである(伝奇者や推理ものなどはこの限りではない。アブノーマルなテイストは、また別のお話なのである。)。それに対し、「Narcissu」は注視点が多数存在する。おそらく、個々のプレイヤーの視点は必ずしも同一線上にあるわけではなく、個人の感受性によって微妙な、しかも多数の差異を生じさせている。もちろん、俗な意味の‘18禁’とかけ離れている影響もあろう。だが、私は1stの背後にあった2ndという事実に納得こそしたが、それは1stに価値付けをするためのものでしかないと考えた。1stでは背面的情報が限りなく削られており、読み手の視点はゆらゆらとして一箇所に集まらなかった…。そのことを考慮しての結論である。2ndになると、漸く背後にあるものが分かり、2nd→1stに至る経緯が説明され、1stの物語的価値はより一層高められたように感じる。これは、片岡とも氏自身が、この作品は「肉」と「骨」の関係にあると言っているとおりである。この証言から察するに、1stと2ndは増幅関係にあると見てよいだろう。ただし、重要度の度合というのは、必ずしも不等号関係で表せるわけではあるまい。


 とも氏は、「泣かせゲーになってしまうことを危惧」していた。だから、この物語は、無色透明な物語として考える必要があり、泣きゲーというジャンルに当てはめてしまうのは賢い思考ではない。あるいは、ナルキという作品のコンセプトを考えた場合、2ndとは無限に存在する物語の一つとして捉えるのが妥当かもしれない。この物語は、本来ならば無指向性メッセンジャーに過ぎない。1stのみをプレイした時の感想と2ndまでプレイしたときの感想は、必ず違う感情が入り混じり、異なったものと化すだろう。本当はそこにあるはずの情報がない(1st単体の場合)がゆえに、限りなく無色の作品と化している本作を名づけるとすれば、その形式の通り、セパレートノベル(切り取り小説)とでも言えるのではなかろうか。


 ただし、ここで、勘違いしてはいけないのは、とも氏が貼り付けた‘全年齢大人向け’というレーティングが、エロゲーが言うところの‘18禁’と直接的な対立路線を明確にしていない以上、いくら視野が特殊といっても、アンチ18禁を標榜してはいないということである。単にノベルに対する一種のダダイズム(伝統的な形式への反発)と言ったほうが、当たり障りがないだろうか。多くの視点から見る事ができる物語と言えば、「Narcissu」はかなり実験的一作である。そう考えると、「この作品は読者の目にどう映っているのか」と質したくなる。…だが、この議論はハナから無用の長物であろう。視点が多数存在するゆえに、誰も答えを知りえないし、また、知る由もないからである。


 巷の評価が高いとは言え、とも氏が目指しているものは未だに遠いようだ。しかし、今だからこそ、この作品の価値というものを考えるまたとない機会であると思う。便宜的な枠であるが、ノベルとしても18禁としても遡行(あるいは進歩)している今作が、いつの日か形骸化するであろうノベル主流の現状を打破する可能性は、必ずや存在する。「シンプルながら厚みを感じる」とは1stナルキに対する私のレビューであるが、2ndをプレイして、なおその想いは強くなった。視野が狭くなる従来のノベルもよいけれども、視野が極めて特殊な今作は一読の価値がある。起こってしまったことに対して心を揺らすのではなく、各人が多種多様な感想を持ったならば、それはそれ。その時初めて、このナルキの作品価値は高められるのだろう。我々も18禁ゲームに限らず、ノベル‘ゲーム’に懐疑的になっても良い頃合ではないだろうか?今の順境を享受している場合ではないのかもしれない。

*1: こちら参照のこと。引用失礼。